特許は、独占権…? (キーワードは 「ライセンス」)
そもそも特許権とは何でしょうか?
法律には、「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。」と書いてありますから、特許権が「特許発明の実施を独占する権限」であることは間違いがありません。そして、この定義は世界中で共通していると思います(特定の事項について、こんなにも国際的に定義が一致している事例は、実は珍しいと思います!)。
今回は、上記の特許権を「特許発明の実施を独占する権限」と定義付けていることが、実は奥深くて悩ましくもあるというお話をさせて頂きます。但し、例によって邪(よこしま)な物の見方であるので、あくまでご参考に留めて下さい。
以下は、私の個人的な考えですが、特許権を取得する者が原始的に願うのは「特許発明を利用して利益を獲得すること」であって、特許権の内容が「特許発明の実施を独占する権限」とされる必然性は無いと思います。しかし、特許制度が作られた頃には産業の形態が単純だったために、特許権者自身が特許発明を独占的に実施して利益を得る形態が自然であり、これを反映して(実は便宜的に?)特許権の内容を「特許発明の実施を独占する権限」と定義したのではないかと思います。
一方、現代において特許の活用形態は様々に変化しています。例えば、クロスライセンス、パテントプール、標準化技術に係る特許等の言葉は、いずれも他人が自己の特許発明を実施することを認める(ライセンス供与)一方で、自らも他人の特許発明を実施して収益したり、あるいはライセンス料収入等を得ようとする際の形態を意味するものです。これらの特許の活用形態は技術(社会)の高度化・複雑化によって、業界等によっては自己の特許発明のみでは製品を製造できないという事情が企業間相互に存在することを反映したものです。
そして、このような特許の活用形態では、特許権の独占性を「ライセンス」という行為によって自ら部分的に否定しているのであって、既に「特許発明の実施を独占する権限」とされる特許権の属性からの解離を生じているように思います。そして、特許の活用によって生じる利益の種類も、発明の実施による直接的な利益だけでなく、「特定の業界内で自らが事業を行う地位の確保」や「特定の業界の規模拡大への貢献」といった独占的な実施では得られにくい間接的な利益へと変化しているように感じます。
また、最近は更に別の形態での特許(知的財産)制度の活用も現れつつあります。例えば、特許でなくて商標についての話ですが、平昌オリンピックで女子カーリングチームが話題にした「そだねー」の語について、北海道の菓子メーカーが商標登録出願して議論になりました。
この時に、この菓子メーカーは「独占するつもりはない」、「申請により自由に使えるようにしたい」等のコメントを発表したそうですが、それにも関わらず
“独占権である商標権” の取得のための出願を行ったことを非難する発言が多くありました(なお、その後に、更に別の方が先に同様の出願をしていたことが明らかになって、この議論は立ち消えになったようです)。
以下は私の理解ですが、この菓子メーカーの行為から生じる利益は、商標権制度を活用した『社会的価値の保全』にあるように感じています。
例えば、“公園” は誰もが自由に出入りして活用できる場所ですが、特定の誰かがこの “自由” の名の下に公園を占拠した場合、公園としての価値は失われます。このため、このような占拠は排除されて公園の価値が保全されるべきであり、多くは公権によってこれが行われます。一方、女子カーリングチームの活躍によって「そだねー」の語が獲得した価値を特定の誰かが不当に独占(占拠)した場合、これを公権によって排除することはできません。この状況に対して、上記菓子メーカーは私権である商標権を活用して「そだねー」の語の価値を保全しようとされた、と私は理解しています。
つまり、商標権の内容は特許権等と同様に独占権であることに間違いないのですが、(上記菓子メーカーのコメントが真意だとすれば)そこに「独占の意図」がない以上、菓子メーカーは『社会的価値の保全』を行う負担を自ら買って出られたと理解できると思います。そして、そこからは『独占権の活用目的は、独占に限られない』という不思議な命題が見えてきます。
なお、「そだねー」の語が獲得した価値は、“忘却”という経路によっても失われます。放っておいたら無くなってしますものです(皆さんも、既に忘れられているのではないでしょうか?)。これに対して、
上記菓子メーカー等の行為は、 “機敏さと話題作り” の点でも『社会的価値の保全』としての有益性を含むように感じます。
一方、私はこれまで(これからも)主に「大学の特許」を手掛けてきましたが、実は、「大学の特許」の本質は上記「そだねー」事件と同質であると考えています。
iPS細胞を開発された山中伸弥先生は、新聞記事で、『どんな発明も特許が確保できなければ実用化は極めて困難になる。』、『特許というと企業が技術を独占するために使うという印象が強いが、CiRAでは「iPS細胞の作製技術を特定の企業に独占させないため」に特許を確保し…』(2014.5.1日本経済新聞)と書かれています。
私は、この考え方に100%賛成です。また、この山中先生の考え方からも『独占権の活用目的は、独占に限られない』という命題が見えてきます。
なお、上記山中先生の考えを私なりに解説すると、以下のとおりです。仮に、山中先生が特許出願をしないままにiPS細胞の作製技術を公表した場合、iPS細胞は非常に大きな価値を持つために、多くの企業がその実用化のための“血みどろの開発競争”を行い、結果として関連する特許が乱立します。そしてその中から資金力のある企業がどうにかiPS細胞を実用化するかも知れませんが、それは非常に高価になる等、理想的なiPS細胞の普及は望めません。一方、(iPS細胞ほどではない)一般的な価値を有する発明については、その価値のために企業は“血みどろの開発競争”をできないため(∵原価割れになる)、特許無しには企業から実用化の意志を引き出すことができません。
つまり、産業界で大学発明が良好に実用化されるためには、(発明の価値の大小に関わらず)まず特許が必要であり、且つ、特許の独占性を利用して合理的な実用化の努力を産業界から引き出す等のリーダーシップを大学等が発揮する必要があることを、山中先生は書かれているものと理解しています。
企業内で発明がなされて実用化される過程は「単一の意思(利益)」によって支配されるために、ある意味で合理的な実用化等が期待されます。一方、大学発明を企業(群)が実用化するという「社会的分業」においては、各立場の利害が交錯するため、全体としての合理性が必ずしも担保されません。これに対して、山中先生のご指摘は、この「社会的分業」において合理性を実現させる役割は大学等が負担すべきであり、その手段として特許の独占性の活用が有効であるとの意味であると思います。
特許権等には、「独占権」と共に、「任意の内容 (!) で、他人にライセンスできる権能」(実施許諾権=独占性の否定)が含まれています。そして、この二つの権能を上手く組み合わせることで、特許権等は全体として様々に活用可能であり、単純な「独占」だけでは得られない多様な価値に繋げることが可能です。そして、「ライセンス」の内容を工夫することで目的に応じて特許を活用する知恵は、特許戦略(知財戦略)と呼ばれるものの1つです。
これに対して、一方的に『「そだねー」を菓子メーカーが独占するのはおかしい』とか、『発明を、大学が特許で独占するのはおかしい』と非難することは、実は、特許権は「特許発明の実施を独占する権限」であるという原始時代の定義に縛られていて、創造性に欠けるな~と邪(よこしま)な考えに至るのであります。